take0329のブログ

好きこそものの上手なれ

コンテクストをよむ。

昨日の夜、「コンテクストをよむ」という話で盛り上がった。
 
自分自身、本質的なことを知ることが大好物だ。
 
例えば、「人は褒められたい生き物である」「非論理的な行動をとる認知的不協和」「人は見たいモノしか見ようとしない」「流行/栄枯盛衰は同じような円を回る」などなど…。
 
何が言いたいのかというと、「コンテクストをよむ」はかなり本質的な考え方ではないのかなぁと。
 
コミュニケーションにおいてもそう。数年前、あらゆる問題の9割はミスコミュニケーションから発生するという言葉に納得感があった。
 
人は言いたいことを100%言語化できるわけではない。馬鹿、という表現でも良い意味と悪い意味、尊敬と軽蔑など相反するニュアンスが混在している。時と場合によってそれは意味が変わる。
 
(自分も含め)一人でも多くの人がしっかりとコンテクストをよむ(自分の中では、前提と目的の確認、言葉の定義擦り合わせ)ことで結構ハッピーな世の中になるはずだ。
 
「コンテクストをよむ」は、想像力が大事だ。もっと言うと、相手のことを考える想像力。そして、想像力はコミュニケーションをするからこそ求められる、という関係性。こんなことを昨日の夜からずっと考えていたからちょっと整理しないと。
 
コミュニケーションの応用範囲はかなり広い。というか大体のことを網羅していると思う。マーケティングだって、結局はコミュニケーションでしかない。広告は消費者と広告主のコミュニケーション。学校だって先生と生徒、先生と先生、先生と親のコミュニケーション。対面&非対面、言語&非言語問わず、あらゆるものがコミュニケーションで成り立っている。自分がいて、相手がいる。という構造。
 
俺は結構最近まで「教育に興味がある」と思っていた。でも今思っているのは「コミュニケーションを円滑にすることで、はたらくを楽しむ人を増やしたい」ということ。転職活動での自己分析中に気がついた。
 
そのためのアプローチ先として、法人向けもある。個人向けもある。広告という側面もある。まだちょっと幅広いのかな。でも、何だかいい気もする。
 
最後に「コンテクストをよむ」にフィットしそうな言葉を書こうっと。映画監督である小津安二郎の言葉。
 
「おーい、おまえ、あれ」
 
小津さんが家でこう言うと、奥さんは「はい、お茶ですね」「はい、お風呂ですね」と的確に答えたそうだ。すご過ぎる。